工学じじいの縁側日記

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引退間際の工学じじいがきままに、プログラミングやデバイス、工学について呟きます。

【日記】岩手公園に30年ぶりに行ってみたら懐かしくて泣いた

岩手公園に30年ぶりに行ってみたら懐かしくて泣いた

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岩手公園

盛岡にある岩手公園は、1871年まであった盛岡城(別名:不来方城)の城跡にある公園です。
後で触れますが、岩手公園という呼び方には、ちょっとしたいわくが有って、本来正式名称は「盛岡城跡公園」です。
ここでは、あえて岩手公園ですすめます。

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図 岩手公園全体図

 石川啄木が、学校の窓から抜け出して、さぼって哲学書を読んだりしていたという記録が残っています。

      不来方(こずかた)のお城のあとの草に寝て空に吸はれし十五の心

この歌、一般には「不来方のお城の草に寝ころびて、空に吸われし十五の心」として有名です。
2種類あるのはどうしてかってのは、以下のリンクに考察があります。
https://www.library.pref.iwate.jp/aboutus/kanpo/kanpo177/177_07-08.pdf

話がそれてしまいましたが、子供時代盛岡に住んでいた人にとっては、大体思い出がある公園になっていると思います。
また、石垣ライトアップ、さくらまつり、石垣ミュージックフェスティバルなど催し物も多く開催される公園です。

岩手公園近代史

Wikipediaから、岩手公園の年表を引用します。

1871年明治4年) - 廃藩置県により廃城。
1874年(明治7年) - 廃城令では当初存城とされたが、老朽化が著しく一般に払い下げとなり、ほとんどの建物が解体移築された。その後、陸軍用地となった土地の建物を除いて旧藩主南部家に払い下げとなる。
1906年明治39年) - 岩手県に貸与され、長岡安平の設計により「岩手公園」として開園した。
1934年(昭和9年) - 盛岡市が旧城地を南部家より買収する[4]。
1937年(昭和12年) - 城跡が「濠湟石壁土壘尚ヨク存シ舊規模ノ見ルベキモノアリ」[5]として国の史跡に指定された。
1956年(昭和31年) - 岩手公園として都市計画決定。一般公園として開設。
1980年(昭和55年) - 総合公園として開設。
1989年(平成元年) - 日本の都市公園100選に選定。
2006年(平成18年) - 日本100名城(6番)、日本の歴史公園100選に選定。愛称を『盛岡城跡公園』に決定。

2006年には、日本の都市公園100選に選ばれていますね。
公園としてのクオリティは結構高いということだと思います。

youtu.be

紹介動画がありました。

岩手公園の名称問題

その2006年に事が起こります。2006年は1906年に「岩手公園」が開園してから記念すべき100周年の年でした。
この年に盛岡市が、突然「岩手公園の名称変更案」を発表します。しかも、「盛岡城跡公園」と「盛岡お城跡公園」の2択で。。。
しかも、いつの間にか名称変更から、愛称募集にシフトチェンジしていました。
そして、シラーっと「盛岡城跡公園」が愛称に決定し、公園としての正式名称は「岩手公園」だが、愛称は「盛岡城跡公園」になりました。つまり、

ただし、盛岡市としては案内板や、道路標識などは「盛岡城跡公園」で統一する(事実上の名称変更)だそうです。
というのを踏まえて、先ほどの案内図をもう一度見てみましょう。

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図 岩手公園全体図

岩手公園のほうがかっこ書きになってる(笑)

しかもPark-PFI(芝生広場への商業施設展開)の問題なんかもあって、盛岡市迷走中ですね。

www.kahoku.co.jp


名称変更のときもそうだったけど、どうなんでしょうね?
まず、住民がいて盛岡があって、そこに来る人がいるってことだと思うんだけど、外から観光客が来ても、シャッター街が並んでいたり、地元のお店が少なかったりしたら、次はもう来ないですよね。
やっぱ外から人を呼ぶのは、地元の地元ならではの、地元の人のお店だと思うんだけど。
映画館通りの失敗を繰り返さないでほしいものですね。

落ち葉の公園

この日は天気は良かったのですが、紅葉もすっかり落ち着き、すでに雪も何度か降っているので、葉っぱはもう大体落ちてしまって、冬の始まりを感じさせるような乾いた景色が広がっていました。

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図 岩手公園入口

入口は何カ所かありますが、岩手公園下側から登ります。

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図 公園から市内を一望

この日は平日の午後だったのですが、外国人のグループがお散歩をしていました。欧米の方、アジア系の方色々いましたね。
(欧米の人たちが、ハトの物まねをしながらハトに絡んでいてちょっと面白かったです)

公園内部は、工事をしている部分もあり全部は回れませんでしたが、落ち葉と枯れ枝が秋の終わりと冬の始まりを告げているようでちょっとノスタルジックな気持ちになってしまいました。
今まで全然思い出しもしなかったような、高校生の時、ここ歩いたなぁ。。。なんて30年前の思い出がよみがえりました(笑)

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図 落ち葉の公園



啄木歌碑へ

そのまま、御廊下橋を渡り、啄木の歌碑の方へ
すぐ横に桜山神社とその、シンボル烏帽子岩(兜岩)があります。
猫に夢中で、写真撮り忘れました。。。

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図 御廊下橋を渡り啄木歌碑へ

途中、猫が餌付けされていて、そのおこぼれをハトが狙っていました(笑)

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図 公園猫

所感

盛岡はやっぱりいいですね。
でも、大通りや菜園を歩いている人の平均年齢がとても高く(自分も含めて)ナウでヤングな街ではなくなったんだなぁと痛感させられました。
大通り周辺は、飲み屋街みたいになってしまっていて、夜になると案外若者が騒いでいますね。

昔はもっと大通りも、肴町も人であふれていた気がするのですが、今はイオン周辺にしか人がいないんじゃないかな。。。
もっと、盛岡市には昔ながらの建物や、名物店を残していく努力をしてほしいです。